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コラム

執筆者:関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科教授 稲沢 克祐

2018.01.24

デジャビュ(既視体験)としての行政経営改革(下)ー地方分権改革を中心にー

 前回のコラム(2017年11月第173号)では、当時自治体職員だった私が2年間の英国赴任を終えて帰国した時、デジャビュ(既視体験)を感じたこと、その体験の中で、PFIなどの市場化について思い起こしてみました。今回は、地方分権改革に関わるデジャビュです。地方分権改革というテーマも市場化同様に重いのですが、さらに、こちらは、自治体と国との権限・財源の再構成に係る議論です。どうして、それが既視体験、つまり「初めて出会う風景や経験だけれども過去に出会った記憶がある」のでしょうか。

 私の英国赴任は1995年、まさに、日本では「地方分権推進法」が制定された年でした。そのためかどうか、赴任先の自治体国際化協会ロンドン事務所には、英国の地方分権改革に関する話題について、自治体関係者、研究者やマスコミからの問い合わせや来訪が増えていたようです。

 赴任後、2週間の自治体での研修、各地の自治体訪問とともに、地方行財政関係の資料を読んでいく中で、英国の地方行財政制度が1980年代から大きく様変わりしたことに気付きました。その第一が、1988年の「大ロンドン県」廃止です。大ロンドン県と言えば、まさに首都行政を司る自治体です。さらにこの時期、マンチェスターなどの大都市にあった県も廃止されています。その理由は、「大都市における自治体行政は、広域自治体と基礎自治体との二重行政であり非効率であるため」でした。当時、県職員だった私には、県の廃止という言葉自体がショッキングでしたし、「効率性」の名の下に「広域行政」をなくしてしまうことへの懸念はなかったのかという大いなる疑問もわいてきました。

 ちょうど、そのような時に、「スコットランドで自治体構造改革(structural reform)が進められているから調査してきて欲しい」という依頼を上司から受けたのです。「スコットランドと言えばスコッチウイスキー」と関心がそれてしまいそうになるのを抑えて、事前に資料に当たってみました。当初、「自治体構造改革」という言葉からは、自治体内の部局を大きく再編するというイメージがありました。が、1995年11月、1週間に渡るスコットランド調査で目にした姿は、全く異なるものでした。

 最初の訪問地は北海油田の基地として有名なアバディーンを県都とするグランピアン県庁でした。まず、相当な数の人々が議論をしている大会議場に通され、お互いの自己紹介です。会場の人たちは2列に分かれて、「グランピアン県の議員、○○です。」「グランピアン県庁の福祉部長、○○です。」と紹介が進み、次の列に移ると「アバディーン特別市の影の議員、○○です。」「アバディーン特別市の影の産業振興部長、○○です。」と、この辺りから不安の雲が覆い始めました。「アバディーン特別市など地図にない・・・一体どこの自治体?」「いちいち、『影の』を付けるのはなぜ?」。想像してみてください。家族の住むロンドンから遠く離れた土地で、地図にない自治体名と『影』です。それを察したのか、すぐに紳士淑女から説明がありました。

 実は、翌96年4月1日に、スコットランドでは全部の県が廃止され、県と市の双方の仕事を併せ持つ特別市だけになるため、今、事務の引き継ぎを行っているとのことでした。すでにアバディーン特別市議会の議員は1995年中に選挙で選ばれていたのです。当時の私は県庁職員でしたから、「全県廃止」という言葉に強いインパクトを受けて各地の自治体を訪問し、県から特別市への権限・財源移譲の様子を調べました。

 話は続きます。帰国した97年の5月、18年ぶりの政権交代があり、スコットランドでは、新政権の公約(マニフェスト)によって住民投票が実施され、広域自治体として「スコットランド自治政府」が誕生します。教育基本法などの自治体行政に関する法律の改正・制定権、国税所得税率の一部操作権などの大幅な権限移譲、そして自治政府のトップの閣僚を首相と呼ぶなど、英国は「準連邦国家」になったとまで言われる内容でした。

 英国でのスコットランド全県廃止・特別市の創設と、その後の自治政府の創設は、異なる考え方を持つ別々の中央政権によるものでした。つまり、「より強力な広域自治政府創設のための全県廃止という体制変換」という図式ではありません。そのため、全県廃止・特別市創設の政策は効率性向上が目的でしたから、創設された特別市への財源保障の面で課題が残りました。一方で、自治政府創設は住民からの要望、まさに草の根の動きを受けての地方分権改革でした。そのため、スコットランド地域への権限と財源の移譲という面では順調に進んでいったのですが、英国内の他地域への財源保障との相違が課題として残ります。

 翻って日本を見れば、21世紀に入った頃から、「官から民へ」、「国から地方へ」と並び称されるようになりました。それは、市場化と分権化の接点を「コスト縮減」と「小さな政府」としたことによるのでしょう。いずれも、国と地方政府総体を通じた財政支出縮小を目指すものです。その中で「国から地方へ」の議論の中では、広域自治体として現在の都道府県よりも圏域の広い道州制の提案、およそ300程度の基礎自治体のみとする提案などが議論の俎上に載りました。

 英国での経験を通じて今思うのは、自治体における市場化・分権化の改革では「住民サービスの水準の確保」が基本だということです。そこで基本に据えるのは、市場化では「水準の特定と測定、モニタリングが十分に行われること」、一方で、分権化では「住民サービスを支える財源の保障」でしょう。少子高齢・人口減少、公共施設等の老朽化などの構造的な課題に直面する現在こそ、行政経営改革に求められるのは、この基本ではないでしょうか。